ジニアの島田さん(島田正明氏)がよく付き合ってくれたと思う。当時はビクターっていう大手レコード会社だったこともあっていろいろ制約はあった。だけどそれにしても当時のプロデューサーの星加さん(星加哲氏)もお互いに納得がいくまでよくやってくれたと思いますけど。自分も当時と比べて音楽経験をつんで、全体を大きく見ることが少しは出来るようになったんだと思う。自分のソロとかいうことよりも、ある意味第三者的な見方をしながら作ることが出来たような・・・。
例えば自分が納得のいくプレイが出来たとしても、他の曲とテイストがかぶっていれば思い切ってカットしちゃうとかね。じつは今回、7曲目の「ビハインド・アメリカ、メイド・イン・U.S.O.」にストリングスっぽいイントロダクションをつけたんだけど、4曲目の「フロー・イン〜」で石渡がやってることとテイスト的にかぶってると思ってカットしました。そういう意味ではすごく整理されたと思う。

T: それでは、各曲について伺いたいんですが・・・
まず、1曲目の「31」についてですが、秋山さんが31歳のときに作った曲なので「31」になったという話を以前聞いたことがあるんですが、本当なんですか?

A: うん。もう少しいうと、31歳の寒い2月に作った曲で、原題は「31th February」ってつけたんだけど、長いのも何だなぁと思って「31(サーティーワン)」にしたら、みんながアイスクリームかって・・・。それが凄く嫌で「31(さんじゅういち)」にした。この曲は前作に入れられなかったから今回ホントに拘った。自分の曲の中でも良く出来ている曲だと思っているからね。同じようにライヴで上手くいかなかった曲で今回入れたいと思ったのは、4曲目の「ユー・アー・ザ・ワン」も同じ。

T: 8曲目の「ヒズ・テネシー・トリビュート・トゥ・大竹
・小竹」ですが、この漢字の部分は何て読むんですか?

A: おおたけ・ちいたけ。
僕の亡くなった親父が双子でね。親父は弟なんだけど、兄貴は竹二郎、親父は竹三郎って言うんだけど、彼らの親たちは面倒くさいから、竹二郎を大竹(おおたけ)、竹三郎を小竹(ちいたけ)ってニックネームで呼んでた。それが大人になっても親戚や町の昔馴染みの連中は、大竹ちゃん、小竹ちゃんって呼んでた。江戸っ子らしい発想だよね。「テネシー・ワルツ」が、この曲のモチーフになってるのは聴いてもらえば判ると思うけど、数年前に親父が死んだ後に、「テネシー・ワルツ」が好きだったってことを知ってね、生きてるうちに演ってあげたかったんだけど・・・それは運命かな・・・。

T: 7曲目の「ビハインド・アメリカ、メイド・イン・U.S.O.」は不思議なタイトルですね。しかも曲を聴くとテーマのメロディーはとっても和風な感じがしますけど・・・

A: これは、ニューヨークにはじめて行った時に酷いカルチャーショックを受けちゃって。
3・4日部屋にこもって外に出られないくらい・・・そのときごやっかいになってたチンさん(鈴木良雄氏)の30階の部屋の窓から見えるハドソン川をじっと眺めてたいら、でっかい船が遥か遠くによーく見ないと動いてるかどうかもわからない、気が付くと少し移動してるなってようやくわかるくらいのスピードでゆっくりはしってて・・・
それを見ながらその時持っていった4chのテープレコーダーと、向こうで新しく買ったギターで曲のスケッチをしてて出来たのがこの曲のイントロダクション。
だから何となく、どんぶらこ、どんぶらこって感じが出てると思うんだけど・・・。